「選ぶ・選べるということ」

 アメリカの著述家、ダン・ミルマンという人が書いた「癒しの旅」という本があります。この中にはダン・ミルマンが恩師から聞いたこんな話を紹介しています。

 

 昼食の時間になると労働者たちはいつもみんなで座ってランチを食べていました。ある労働者は毎日ランチの包みを開けては毒づいていました。

 「また、ピーナッツバターとジャムのサンドイッチかよ。俺はピーナッツバターとジャムのサンドイッチが嫌いなんだよ。」

 この労働者は毎日昼食の時間に「ピーナッツバターとジャムのサンドイッチ」に文句を言っていました。

 毎日毎日毒づくので、数週間経った頃、とうとう耐え切れなくなったひとりの同僚が言いました。

 「いい加減にしてくれよ。そんなにピーナッツバターとジャムのサンドイッチが嫌いだったら、奥さんに別のサンドイッチを作ってもらえばいいだろう。」

 それを聞くと、その労働者は、

「奥さん?」

「俺は独身なんだよ。このピーナッツバターとジャムのサンドイッチを作っているのは俺さ。」

 

 この話はここで終わりです。

 

 私たちも知らないうちに、嫌いな材料で目的のものを作るようなことをしていないでしょうか。

 例えば、予習をしたほうが良いに決まっています。しかし、皆さんの良心とは別に予習を怠けてしまい、授業がわからないこととなる。部活で不十分な練習しかせずに、試合では勝つことが出来ない。

 良いものを作ろうと努力をすれば、必ず新しい選択が生まれます。意思を持って選択しないと現状のままです。

 少し拡げて話をしますと、みなさんの人生の色々な場面は皆さんが選択できるし、多くの選択肢は他人でなく、自分にあるということです。