今日は私の好きな小村寿太郎の話をします。

小村寿太郎は1855年、江戸時代末期、宮崎に生まれた人です。外務大臣、貴族院議員などを務めました。身長は143センチだったと言われます。

飫肥藩からの推薦を受けて、東京の神田錦町にあった大学南校(東京大学の前身)に入学し、第1回の文部省海外留学生に選ばれてハーバード大学へ留学し、法律を学んだ人です。 1901年、第1次桂内閣の外務大臣に就任し、日英同盟を積極的に締結に持ち込むなど外交で実績をあげた人です。

この小村寿太郎が一番彼らしい働きをしたのは、日露戦争後の1905年のポーツマス会議日本全権としてロシアの全権ヴィッテと交渉し、日露講和条約(ポーツマス条約)を調印しました。

このアメリカの仲裁を受けてのポーツマス会議は本当に難航を極めたのです。  

ロシアの全権ヴィッテたちは地元のマスコミに交渉の情報を流して会議を有利に運ぼうとします。当然彼らは日本が戦争に疲弊してこれ以上の戦いをする力がないことを見抜いていました。  

小村の信念は「誠」。この交渉も「誠」をもって乗り越える覚悟でした。日本の外交官たちは出来るだけ地元の人に日本人を理解してもらうために長期の交渉の間に夕食は地元のレストランに出掛けて交流もしていたそうです。

交渉の間はロシアの全権ヴィッテたちは日本人にわからないようにと、お互いにフランス語で会話をしていました。

長く苦しい、しかも譲歩した「日露講和条約」の調印は終わります。ヴィッテは見下したように小村寿太郎に「ポーツマスにはいつまで滞在されますか」フランス語で話しかけます。

ロシアの随員が通訳をしようとすると小村は遮って、「今日すぐにボストンに向かい、ニューヨークに行く予定です」と流暢なフランス語で返事をします。  

その時に初めてロシアの全権たちは自分たちの会話が小村に漏れていたことを知ります。凛とした人とはどんな人を言うのでしょうか。考えてみてください。